飲食店の開業は個人事業と法人、どちらで始めるか。月商322万円の水準で損益を比較する。

飲食店の開業は個人事業と法人、どちらで始めるか。月商322万円の水準で損益を比較する。 飲食店の開業

飲食店の開業は、ほとんどの場合、個人事業主から始めます。月商322万円(公庫の記入例水準)では、個人事業主のほうが手元に残りやすい構造です。法人化を検討するのは、課税所得が800万円を超えたあたりから、税理士と相談して判断するのが一般的です。この記事では、公庫の記入例の数字をもとに、個人と法人の損益・資金計画・融資審査での扱いの違いを整理します。

個人事業と法人で、創業計画書の「利益」の数字が変わる理由

日本政策金融公庫の創業計画書「事業の見通し」では、個人営業の場合は事業主の生活費を人件費に含めず、利益から別途引く形になります。公庫の記入例には「個人営業の場合、事業主分の人件費はここに含まれます」(2025年4月版)との注記がありますが、記入例は居酒屋オーナーを専従者扱いにせず家族従業者10万円のみを人件費に計上しています。

一方、法人の場合は事業主への報酬を「役員報酬」として人件費に計上します。公庫の「小企業の経営指標調査(2025年度)」も「対象は法人企業。役員報酬は人件費に含まれる」と明記しています。このため、同じ事業でも個人と法人とでは創業計画書上の「利益」の数字が大きく変わります。

利益が変わる理由は、事業主の取り分の計上場所が違うだけです。個人事業では「利益」として出た数字から生活費を払います。法人では「役員報酬」として先に人件費に計上するため、利益は小さく見えます。どちらも実質的な手取りの計算は、この仕組みを理解したうえで行う必要があります。

公庫記入例の水準で個人と法人の損益を比べる

公庫の記入例(洋風居酒屋・25席)の軌道後の月商3,217,500円を前提にした場合、個人事業と法人の損益は次のように変わります。月次利益の差は287,500円で、これは法人で役員報酬として人件費に計上する金額(個人では生活費として別扱い)にあたります。

個人事業と法人の月次損益比較(月商322万円・軌道後の月・公庫記入例の前提)
項目 個人事業 法人 差額
売上高 3,217,500円 3,217,500円 0円
売上原価(原価率35%) 1,126,125円 1,126,125円 0円
人件費 942,600円 1,230,100円 +287,500円
家賃 200,000円 200,000円 0円
その他費用 463,610円 463,610円 0円
月次利益(税前) 485,165円 197,665円 -287,500円
公庫様式の利益 465,245円 177,745円 -287,500円

※個人事業の人件費は正社員40万円・専従者(家族)10万円・アルバイト40.6万円・法定福利費相当の合計。法人は役員報酬287,500円を加算した金額です。役員報酬の金額は一例であり、実際は会社設立時に決定します。

創業当初(立ち上がり77%・月商約247万円)では、法人の公庫様式の利益は-295,304円と赤字になります。個人事業の場合は黒字になりますが、法人では役員報酬を人件費に計上しているため、創業期に赤字が出やすくなります。公庫の融資審査で「創業当初から利益が出る計画」を示したい場合、個人事業のほうが数字が作りやすいことがあります。詳細は飲食店の公庫融資審査の記事も参照してください。

役員報酬を人件費に入れると「利益」が小さく見える仕組み

月商322万円の法人で役員報酬を月287,500円に設定した場合、創業計画書上の「利益」は197,665円になります。個人事業(485,165円)と比べると287,500円少ない数字ですが、法人の代表者の手取りとして287,500円が役員報酬から出ています。

手取りの実質を比べると次のようになります。個人事業では利益485,165円から生活費250,000円を払い、残り235,165円が手元の事業資金として残ります。法人では役員報酬287,500円が個人の手取りとなり、法人の利益197,665円は法人税の対象になります。どちらが「得か」は所得税率・法人税率・社会保険料の差によって変わります。

年間の役員報酬は287,500円×12か月=3,450,000円です。個人事業では同額が生活費として利益から出ていきますが、課税対象は事業全体の所得(利益)になります。法人化すると、役員報酬3,450,000円に対して給与所得控除(給与収入180万円超360万円以下の場合:収入×30%+8万円=約111.5万円)が適用される分だけ、課税所得を下げられる効果があります。ただしこの差は年収が高くなるほど大きくなるため、月商322万円の水準では個人事業主のほうが総負担が少なくなるケースが一般的です。

個人事業主と法人の税・社会保険の違い

個人事業主が払う所得税・住民税・個人事業税・国民健康保険・国民年金の概算は、飲食店の税金の計算に詳しくまとめています(月商322万円水準で年間合計約286万円・月24万円の積み立てが目安)。

法人化すると、代表者は国民健康保険・国民年金から社会保険(健康保険・厚生年金)に切り替わります。社会保険料の会社負担分(報酬額の約15%)が法人の経費として追加で発生するため、法人全体のコストは個人事業より増えます。一方、将来の年金受給額は厚生年金のほうが高くなります。

法人化を検討するタイミングの目安

法人化が税務上有利になる目安として、一般的に課税所得800万円から1,000万円超の水準が挙げられます。この水準では、個人の所得税の最高税率(課税所得4,000万円超で45%+住民税10%)よりも法人の実効税率(中小法人・所得800万円以下に適用される軽減税率15%を含む実効税率約20〜33%)が低くなるためです。

ただし、法人化には以下の初期コストと継続コストがかかります。設立費用は合同会社で6万円から、株式会社で25万円からです。毎年の法人住民税の均等割(資本金1,000万円以下で従業員50人以下の場合、都道府県分と市区町村分の合計で年7万円程度)は赤字でも発生します。税理士報酬も法人のほうが高くなるのが一般的です。

個人事業と法人の主な違い(開業時の判断材料)
項目 個人事業 法人(合同会社) 法人(株式会社)
設立費用 無料(開業届のみ) 6万円〜 25万円〜
設立の手間 少ない 中程度 多い
税率 所得税(累進5〜45%) 法人税(実効税率約20〜35%) 同左
社会保険 国保・国民年金 健保・厚生年金(強制) 同左
赤字の繰越 最長3年(青色申告) 最長10年 同左
信用力 個人 法人(やや高い) 法人(高い)

飲食店の開業 収支シミュレーターでは、個人事業と法人を切り替えて試算できます。個人では生活費を毎月の資金繰りから引く計算に、法人では役員報酬を人件費として計上する計算に切り替わります。開業前に両方の数字を比較してみると、どちらの計画が融資審査で使いやすいかを確認できます。

公庫の融資審査における個人と法人の扱いの違い

公庫の創業融資は個人・法人のどちらでも申し込めます。創業計画書の書き方で整理したとおり、審査で重視されるのは「売上の根拠が現実的か」「費用と利益の整合性があるか」の2点です。

個人の創業計画書では、事業主の生活費(家計費)を利益から引いて「返済に使える手取り」を示す欄があります。公庫の手引には「収支見込み=返済財源−返済元金−家計費」との説明があり、生活費を明示することで返済余力を示す構造になっています。法人の場合は役員報酬を人件費に含めたうえで、法人の利益から返済する計画を示します。

創業当初(立ち上がり77%)の法人の公庫様式利益は-295,304円と赤字になります。個人の場合は黒字(13,029円)で済む水準です。公庫の審査担当者は赤字計画でも返済余力があれば融資を判断しますが、「なぜ創業当初は赤字になるか」を説明できる準備が必要です。法人化する場合は、役員報酬の設定水準が創業計画書の数字に直接影響することを念頭に置いて計画を立てる必要があります。

どちらの形態を選ぶにせよ、公庫の融資担当者は創業計画書の数字が業界の実態と一致しているかを確認します。公庫「小企業の経営指標調査」の業種別の数字を参照して、原価率・人件費率が相場の範囲内に収まっているかを確かめてから提出することが大切です。

開業直後は個人事業主のまま進める理由

実務上、飲食店の開業直後に法人を設立するケースは多くありません。その理由として、開業後の最初の1〜2年は売上が安定せず、法人の均等割(赤字でも発生する固定費)や税理士報酬が負担になりやすいことが挙げられます。個人事業であれば、青色申告特別控除(65万円)・専従者給与(家族への支払いを経費計上)・開業費の任意償却など、一定の節税手段も使えます。

また、法人化のタイミングを急ぎすぎると、設立コストと運営コストが事業が軌道に乗る前の資金繰りを圧迫することがあります。公庫の記入例では開業9か月目まで資金残高が減り続ける試算になっており、この時期に法人設立費用や社会保険料の増加が重なると、手元資金の最低ラインをさらに下げることになります。

一方、最初から法人として開業することが有利になるケースもあります。共同経営者がいて出資比率や権限を明確にしたい場合、フランチャイズ本部や取引先から法人格を求められる場合、または複数店舗への展開を最初から計画している場合などです。これらの事情がない場合は、個人事業で開業して売上が安定した段階で改めて税理士と相談するのが一般的な流れです。

個人事業から法人化する際の注意点

個人事業から法人に切り替える場合、「法人成り」と呼ばれる手続きが必要になります。主な作業は、法人の設立登記・個人事業の廃業届の提出・許認可の変更(飲食店営業許可は法人名義に切り替え)・取引先への通知・銀行口座の変更です。特に飲食店の場合、保健所への営業許可の申請は法人ごとに新たに行う必要があります。

資産の引き継ぎにも注意が必要です。個人が取得した厨房設備・什器を法人に移転する場合は、時価での売買契約が必要になります。賃貸物件の場合は賃貸借契約の名義変更について家主との交渉が生じることがあります。これらの手続きは数か月かかることも多く、法人化のタイミングは事業の閑散期や決算期に合わせて計画的に進めることが重要です。

個人事業から法人化するときの主な手続き(参考)
手続き 対応先 タイミング
法人設立登記 法務局 設立時
個人事業の廃業届 税務署 廃業日から1か月以内
飲食店営業許可(法人名義) 保健所 開業前(法人名義で再申請)
社会保険加入 年金事務所 設立から5日以内
法人口座の開設 金融機関 設立後
取引先・仕入先への通知 各取引先 切り替え前

法人化を検討し始めた段階で税理士に相談すると、手続きの順番・費用・節税効果のシミュレーションをまとめて確認できます。法人化すると決算書の作成が複雑になり、税理士報酬が増えることが多いため、年間の追加コストと節税効果を比較してから判断することをお勧めします。

(この記事の数字は、日本政策金融公庫「創業計画書の記入例(2025年4月版)」および「小企業の経営指標調査(2025年度)」を参照して作成しています。税制・社会保険制度は変更されることがあります。個人・法人の選択は税理士等の専門家にご相談ください。当ツールは公庫が作成・提供するものではありません。作成日:2026年10月。)

この記事を書いた人

業種別のツールを、一人で作っています。開業前の収支シミュレーター、法定研修キット、資格の問題集。どれも、厚生労働省の告示や調査の原文を自分で確かめてから数字を組み込んでいます。使う人が「この数字、合ってるか」と不安になるようなツールは作りたくないので。

上場企業で20年間、営業ひとすじ。電話営業・インサイドセールスから、約70名のチームのマネジメントへ。現場で「根拠のない数字」が判断を狂わせる場面を見続けてきたせいか、ツールを作るときも出典を確かめずにはいられません。

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