有料老人ホームのBCP訓練は、年1回以上が義務です(指定居宅サービス等基準第177条の3)。訓練は研修と別物で、「読んで知る」ではなく「動いて確かめる」が目的です。
ただ、この訓練がどうしても名ばかりになりやすい。理由は明確で、特定施設の入居者は自分では逃げられないからです。一般の防災訓練の「集合して避難経路を確認する」という形が、入居者を連れて動くことに慣れていない施設では成立しないまま終わります。
この記事では、特定施設という環境の特殊性をふまえた上で、BCP訓練に実際に何を組み込むべきか、法令の義務と実務の両面から整理します。
BCPの法的根拠と特定施設への適用
指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準(平成11年厚生省令第37号)第177条の3は、次のとおり定めています。
「指定特定施設入居者生活介護事業者は、感染症又は非常災害の発生時において、利用者に対する指定特定施設入居者生活介護の提供を継続的に実施するための、及び非常時の体制で早期の業務再開を図るための計画(以下「業務継続計画」という。)を策定しなければならない。」
この条文が令和3年度の基準改正で追加され、令和6年4月1日から全事業所で義務化されました(経過措置終了)。BCPは単に作れば終わりではなく、定期的な見直し・研修・訓練まで義務の一部です。
感染症BCPと自然災害BCP、訓練は別々に行う
BCPは、感染症BCPと自然災害BCPの2種類を策定することが厚生労働省のガイドラインで推奨されています。訓練もこの2つに対応した内容で計画します。
解釈通知(老企第25号)は「訓練は年1回以上実施する」としており、感染症と自然災害を合わせて年1回でも基準上は満たします。ただし、想定する危機が全く異なるため、それぞれの訓練を年に1回以上実施する方が実態に合っています。
| 訓練の種類 | 想定する危機 | 確認する内容 |
|---|---|---|
| 感染症BCP訓練 | 新型インフルエンザ・COVID-19等のクラスター発生 | コホーティング・PPE着脱・出勤できない職員が出た場合のシフト対応 |
| 自然災害BCP訓練 | 地震・水害・台風等 | 入居者の安全確保・避難判断・外部との連絡体制 |
特定施設の入居者は「避難弱者」である
特定施設入居者の多くは、要介護1以上の方です。厚生労働省の令和4年介護給付費等実態統計によると、特定施設入居者生活介護の受給者のうち要介護3以上の割合は約55%を占めます。
「全員を外部避難させる」という想定でBCP訓練を行うと、人員が圧倒的に足りないことが判明します。現実的な対応は次の3段階の判断です。
- 施設内垂直避難(屋内避難):洪水・土砂崩れの危険がなく、建物が安全な場合。上層階への移動が基本。
- 施設内水平避難:同一フロアの安全な場所への移動。煙・延焼が局所的な場合。
- 施設外広域避難:建物の損傷・全焼・浸水等で施設が使用不能になった場合。系列施設・協定施設・広域避難先への搬送。
この3段階の判断基準を事前にBCPに明記し、訓練でその判断ができるかを確認することが訓練の本質です。
感染症BCP訓練で確認する3つのこと
感染症BCPの訓練では、シミュレーション形式で「もし今日クラスターが発生したら」という状況を職員全員で動かします。確認するのは次の3点です。
1. コホーティングの手順
感染者・濃厚接触者・感染していない入居者の居室や生活エリアを分けることをコホーティングといいます。特定施設では、共用廊下・食堂・浴室を使うため、動線の分離が課題になります。訓練では、実際の施設の間取りで「どこをゾーニングするか」を職員が判断できるかを確認します。
2. 職員欠勤時のシフト組み替え
クラスター発生時は、感染・濃厚接触・体調不良による欠勤が重なります。最低限の介護(食事・排泄・医療処置)を継続するために必要な職員数と、どこから応援を呼ぶかを事前に決めておきます。訓練では、シフト変更の連絡をどのルートでいつまでに行うかを実際に動かします。
3. 報告・連絡先の確認
感染症の集団発生時は、都道府県・市町村への報告が求められる場合があります。また、入居者の家族への連絡も必要です。訓練では連絡先リストが最新かどうか、夜間・休日でも連絡できる体制があるかを確認します。
自然災害BCP訓練で確認する4つのこと
1. ハザードマップの確認と施設の被害想定
国土交通省のハザードマップポータルサイトで、施設のある地域の洪水・土砂・津波リスクを確認します。BCPにはこの被害想定を記載し、訓練の前に全職員が内容を把握します。
2. 避難の開始判断と伝達
誰がどの情報をもとに「避難開始」を判断するかを訓練で確認します。管理者が不在の夜間・休日でも判断できる体制が必要です。気象警報・避難指示のレベルとBCPの対応を対応させておくと判断しやすくなります。
3. 入居者の搬送・移動補助の実地確認
寝たきりや車いす使用の入居者を実際に動かすことを訓練に含めます。担架・スロープ・エレベーター停止時の階段搬送をシミュレーションします。年に1度は実際の搬送手順を確認しておかないと、本番で手が止まります。
4. 系列施設・協定施設との連絡訓練
広域避難が必要な場合の受け入れ先を事前に確保していても、連絡がつかなければ意味がありません。訓練で実際に連絡をとり、受け入れ体制が機能するかを確認します。
BCP訓練の記録に残すべき内容
訓練の実施後は、次の内容を記録します。記録は運営指導で提示が求められます。
- 訓練の実施日
- 参加者(職員名・役割)
- 訓練の内容と手順
- 発見された課題
- BCPへの反映(改善した内容)
訓練後にBCPを見直すことが義務の一部です。課題を洗い出して「次回までに対応する」だけで終わらせず、BCPの文書を実際に更新した日付と担当者を記録に残します。
年間計画への組み込み方
BCP訓練は、感染症シーズンが始まる前の秋(10月前後)と、防災月間(9月)を活用する施設が多く見られます。研修は座学で行い、訓練は実際に動く形で分けるか、研修と訓練をセットで半日かけて行う形もあります。
感染症の研修・訓練(年2回以上義務)と組み合わせて年間計画を立てると、合計で次のような日程になります。
- 4〜5月:感染症研修1回目(ノロウイルス・食中毒のシーズン前)
- 9月:BCP研修+自然災害BCP訓練(防災月間)
- 10月:感染症研修2回目+感染症BCP訓練(インフルエンザシーズン前)
このように感染症とBCPを連動させると、「研修・訓練が多すぎる」という状況を回避しやすくなります。
BCPは形を整えるより「使えるもの」を目指す
厚生労働省が公開している「介護施設・事業所における業務継続計画(BCP)作成支援に関する研修テキスト」は、ひな形として使える様式が揃っています。ただし、地名・連絡先・人員体制の部分は自施設に合わせて書き換えないと、実際の緊急時に「計画はあるが使えない」状態になります。
訓練の本当の目的は、BCPの文書が自施設の実態と合っているかを毎年確認することです。書類として完成させることではなく、「昨年から変わった部分(退職・入職・施設の改装等)に対応できているか」を確かめる機会として訓練を位置づけると、内容が形骸化しにくくなります。
まとめ
有料老人ホームのBCP訓練は年1回以上が義務で(指定居宅サービス等基準第177条の3)、感染症BCPと自然災害BCPに対応した内容が必要です。特定施設特有の課題は「入居者は自力で避難できない」という点で、搬送・コホーティング・シフト対応の実地確認が訓練の核心になります。
訓練後はBCPの見直しと記録の保管まで義務の範囲です。記録は運営指導で確認されます。
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