出版社・音楽レーベル・事務所から取引条件の変更を告げられたとき、その場で返答する必要はありません。
インボイス制度への対応を理由に、取引金額や支払い条件を変えると告げてくる発注元があります。イラストレーター・漫画家・声優・ナレーターの方が受ける場面として多いのは、次の4つです。
この記事では、それぞれの場面で返答の前に何を確認すべきかをまとめています。
4つの場面と、それぞれの意味
①「インボイスに登録していますか」と尋ねてくる
発注元が仕入税額控除を使うために、あなたの登録番号を確認したい状況です。登録しているかどうかを正直に答えれば十分です。登録を強制することはできません。
②「登録してもらえないなら単価を下げます」と言われる
消費税相当分(10%)を理由に単価を引き下げようとする場面です。「5省庁Q&A」では、この行為が一定の条件下で違法になると明示されています(後述)。
③「登録しても単価は変わりません」と言われる
登録後に消費税を納税することになっても、受け取る金額を変えないという意味です。消費税分が実質的にあなたの負担になります。この「据え置き」も、協議なく一方的に行われた場合は問題になります。
④「登録しないなら取引を続けられない」と示唆される
インボイスの登録を迫るために、取引の打ち切りを示唆するケースです。法律上、この示唆を受けた側が登録を強制されているわけではありません。
声優・ナレーターの方へ:事務所経由の場合の注意点
クリエイターのインボイス問題で、とくに見えにくいのが事務所(マネジメント会社)を通じて仕事を受けているケースです。出版社・音楽レーベルから直接連絡が来ているのか、事務所経由で間接的に伝えられているのかによって、確認の相手が変わります。
インボイスの登録を求められているのが「あなた個人」なのか「事務所」なのかをまず確認してください。
事務所が課税事業者であれば、事務所があなたに支払う報酬について別途の取り決めが必要になります。「事務所からの指示でインボイス登録をしてほしい」という場合も、登録の判断に関わる費用(消費税の納税負担)をだれが負うのかを先に確認してください。
口頭だけで進めると、後でトラブルになることがあります。事務所との間でも、条件変更の内容は書面で確認することをすすめます。
返答の前に確認すること3点
1. 書面で残すよう求める
「電話ではなくメールか書面で送ってほしい」と伝えてください。何をどのような理由で変えようとしているのかを文字で確認することが大切です。口頭のやりとりだけでは記録が残りません。
2. 変更の根拠を尋ねる
「なぜその変更が必要なのか」を尋ねてください。インボイス制度への対応が理由なのか、他に理由があるのかを確認します。根拠のない変更には応じない選択肢があります。
3. 即答しない
その場で返事を求められても、「確認してから連絡します」と答えて構いません。インボイスの登録をするかどうかは、あなたが判断することです。
「問題になる行為」と「ならない行為」の違い
5省庁(財務省・公正取引委員会・経済産業省・中小企業庁・国土交通省)が作成したQ&Aには、次の内容があります。
「免税事業者であった仕入先が課税事業者に転換した場合、新たに納税が必要となる消費税分について、①仕入先と明示的に協議することなく取引価格を据え置くことは、独占禁止法上の優越的地位の濫用又は取適法上の買いたたきとして問題となるおそれがある」
出典:5省庁「免税事業者及びその取引先のインボイス制度への対応に関するQ&A」(令和8年1月30日改正)Q5
問題になるのは「協議することなく」据え置く場合です。裏返せば、協議の場を設けることを相手に求めることは正当な行動です。
また、同Q&Aでは取引対価の引き下げについて次の基準が示されています。
「再交渉が形式的なものにすぎず、仕入側の事業者(買手)の都合のみで著しく低い価格を設定し、免税事業者が仕入れ時に支払っていた消費税額も払えないような価格を設定した場合には、優越的地位の濫用として、独占禁止法上問題となります」
出典:同Q&A Q7
「免税事業者が仕入れ時に支払っていた消費税額も払えないような価格」まで引き下げることは問題になります。
フリーランス保護法が適用される場合
2024年11月1日に施行された「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」(フリーランス保護法)は、フリーランスへの不当な取引条件の変更を禁じています。
ただし、この法律のすべての保護規定がすべての取引に適用されるわけではありません。適用の条件として、2点確認が必要です。
1. 受ける側の条件:「特定受託事業者」に該当するかどうか
フリーランス保護法の保護を受けるには、あなた自身が「特定受託事業者」(同法第2条第1項)に該当している必要があります。特定受託事業者とは、業務委託を受ける事業者のうち、常時使用する従業員がいない個人または法人(従業員なしの法人)です。多くのイラストレーター・漫画家・声優・ナレーターは、この条件を満たします。
2. 発注する側の条件:「特定業務委託事業者」かどうか
フリーランス保護法第5条(禁止行為)が適用されるのは、「特定業務委託事業者」(同法第2条第3項)が発注者の場合に限られます。特定業務委託事業者とは、特定受託事業者に業務委託を行う事業者のうち、常時使用する従業員がいる事業者です。
出版社・音楽レーベル・映像制作会社・広告代理店・事務所(マネジメント会社)など、一定規模のある法人の場合は特定業務委託事業者に該当することがほとんどです。一方、従業員がいない個人の発注者(個人編集者・個人制作者から直接委託を受けているケース)には第5条は適用されません。
3. 取引の種類の条件:「継続的業務委託」かどうか
第5条の禁止行為が適用されるのは、「継続的業務委託」に該当する場合、つまり6か月以上継続して同一発注元から業務委託を受けている取引です。単発の受注(1回限りの依頼)には第5条は適用されません。
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 受ける側 | 従業員なし(特定受託事業者) |
| 発注する側 | 従業員あり(特定業務委託事業者) |
| 取引の種類 | 6か月以上継続する業務委託(継続的業務委託) |
出典:特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律(令和5年法律第25号)第2条・第5条
上記3条件を満たす場合、同法第5条により発注者に対して以下の行為が禁止されます。
- 報酬を不当に低く設定すること
- 成果物の受領を拒否すること
- 報酬を不当に減額すること
- 成果物を不当に返品すること
- 物品・役務の購入を強制すること
- 合理的な理由のない不当な利益の提供を要請すること
出典:同法第5条
取適法(製造委託等適正化法)が適用される場合
取適法(製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等に関する法律)は、「資本金1,000万円超の事業者」が「資本金1,000万円以下の事業者」に製造・情報成果物の作成を委託する場合などに適用されます。
出版社・映像制作会社・広告会社などの大きな発注者から直接委託を受けているイラストレーター・漫画家は、この法律が適用される可能性があります。適用がある取引では、5省庁Q&Aに示されているとおり、発注者が協議なしに取引価格を据え置いたり、不当に値下げしたりすることが独占禁止法・取適法の観点から問題となるおそれがあります。
なお、声優・ナレーターの方の場合、事務所経由の取引が多く、「出版社→事務所→声優」という二段階の委託関係になることがあります。このとき取適法が適用されるのは「出版社と事務所の取引」であり、「事務所と声優の取引」については別途確認が必要です。
業務委託契約書がある場合・ない場合の対応
取引条件の変更を告げられたとき、業務委託契約書があるかどうかで対応の選択肢が変わります。
契約書がある場合
現在の単価・支払い条件が契約書に明記されている場合、それらは契約内容です。単価を変えるには、原則として双方の合意が必要です。「一方的に変える」という連絡に対しては、「現在の契約書の内容と異なる変更についての根拠を書面でお送りください」と返すことができます。
フリーランス保護法の適用がある場合(前述の3条件を満たす場合)、一方的な単価の変更は同法第5条違反のおそれがあります。
契約書がない場合
書面がなくても取引関係は存在します。「今まで受け取ってきた金額」がある種の慣行になっている場合、それを一方的に下げることが問題になることはあります。
フリーランス保護法第3条は、1か月以上継続する業務委託を行う発注者に対して、業務内容・報酬額・支払期日等を書面または電子的方法で明示することを義務づけています。「契約書もなく条件の変更を告げられた」という場合、「書面での条件明示をお願いします」と伝えることは法律上認められた要求です。
出典:同法第3条
職種ごとの状況と、特に注意が必要な点
イラストレーター・漫画家
出版社・Webサービス運営会社・広告代理店から直接依頼を受けているケースが多く、フリーランス保護法の適用対象になりやすい環境です。単発の依頼が多い場合は「継続的業務委託」に該当しないことがあるため、取引形態の確認が必要です。一方で、継続的に同一発注元から依頼を受けている場合(連載・シリーズ等)は6か月以上継続している取引が多く、第5条の保護を受けられる可能性があります。
声優・ナレーター
事務所(マネジメント会社)が間に入っているケースでは、「事務所から」条件変更を告げられる形になります。この場合の交渉の相手は事務所であり、エンドクライアント(アニメ制作会社・広告会社等)との間には直接の契約関係がない場合がほとんどです。
事務所との間の業務委託契約にフリーランス保護法が適用されるかどうかは、事務所の規模(従業員がいるかどうか)と取引の継続性によります。事務所が従業員を使用している場合、特定業務委託事業者に該当します。
インボイス登録を求められているのが「あなた個人に対して」なのか「事務所に対して」なのかをまず確認してください。エンドクライアントが求めているのが事務所のインボイス番号である場合、あなた個人の登録は必ずしも必要ではない場合があります。
返答の前に整理しておくこと
取引条件の変更を告げられた場合、以下の点を確認してから返答することをすすめます。
| 確認項目 | 確認の意味 |
|---|---|
| 現在の請求書に消費税は記載されているか | 「内税」なのか「外税」なのかで、消費税分の扱いが変わる |
| 取引は6か月以上継続しているか | 継続的業務委託かどうかで、フリーランス保護法第5条の適用範囲が変わる |
| 業務委託契約書はあるか | 契約書の内容が交渉の根拠になる |
| 発注者に従業員はいるか | 特定業務委託事業者かどうかで、フリーランス保護法の適用範囲が変わる |
| 変更の内容は文書化されているか | 口頭のみでは記録が残らない |
イラストレーター・漫画家・声優・ナレーターの方の多くは、継続的に同一の発注元から仕事を受ける「特定受託事業者」に該当する可能性があります。
取引停止の示唆を受けたとき
「登録しないなら仕事を出せない」という示唆を受けた場合も、即答する必要はありません。
5省庁Q&Aには次の記述があります。
「インボイス制度の実施を契機として、取引先に対し、取引を打ち切ると脅して…インボイス制度に関連して、取引先が免税事業者であることを理由として取引を打ち切ることは問題となるおそれがある」
出典:同Q&A Q5
「インボイスに登録しなければ取引を打ち切る」という理由での打ち切りは、問題になる可能性があります。ただし、取引を継続するかどうかは事業者の自由であるため、この区別は容易ではない場合があります。
インボイスの登録判断と交渉は、別の話
インボイスに登録するかどうかと、単価の交渉は、別の問題として考えてください。
登録しないまま取引を続けることもできますし、登録した上で消費税分の上乗せを交渉することもできます。登録を急ぐ前に、今の取引条件(消費税の扱いが内税か外税か)を確認してから判断しても遅くありません。
消費税の扱いが「外税(税抜き金額+消費税)」になっている場合、あなたがインボイス登録をすれば受け取る金額は変わらず、消費税を納税するかどうかの話になります。「内税(税込み金額を一つで請求)」の場合は、インボイス登録後に消費税を納税することで手取りが減るため、その分を発注元に交渉する余地があります。
インボイス登録をするかどうかの判断には、「課税事業者になることで生じる消費税の納税負担」と「取引継続のリスク」のどちらが重いかを自分で判断する必要があります。登録を「強制」することは発注元にはできません。
発注元からの一方的な説明に動かされる前に、書面で確認し、根拠を尋ね、必要であれば相談窓口を使うことが大切です。
発注元もあなたの仕事が必要だから取引しています。一方的に告げられても、「書面で送ってください」と返すことは、関係を壊す行動ではありません。
インボイス登録をしてから消費税分の交渉をする場合の手順
「登録した上で消費税分の上乗せを交渉したい」と考える場合、次の順序で進めると整理しやすくなります。まず現在の請求書を確認して、消費税が内税なのか外税なのかを把握します。内税(税込み金額のみ)の場合、登録後は消費税を自分が納税する形になるため、その分を加算した新しい単価を提案することが交渉の出発点になります。
提案は書面(メール)で行い、「インボイス登録後の消費税納税分として○%の上乗せをお願いしたい」という形で根拠を明示することをすすめます。このとき5省庁Q&Aの内容(協議なしの据え置きは問題になるおそれがある旨)を根拠として添えることができます。交渉の内容と結果は、必ず書面で残してください。
相談できる窓口
・公正取引委員会 相談窓口(独占禁止法・下請法):0570-003-010
・中小企業庁 インボイス・フリーランス相談窓口:0570-050-093
・フリーランス・トラブル110番(内閣官房フリーランス保護法の相談窓口):0120-328-713
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