認知症が進んで判断能力がなくなった相続人は、自分で相続放棄の申述ができない。相続放棄は「家庭裁判所への申述」という本人の行為が必要であり(民法第938条)、意思能力がなければ本人が手続きできない。この場合、成年後見人が代わりに相続放棄の申述を行う方法がある。ただし後見人が相続放棄をするためにはいくつかの条件と制約がある。
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認知症の相続人が相続放棄するには後見人が必要
相続放棄の申述は「家庭裁判所への書面による申述」という本人の行為として認められなければならない(民法第938条)。意思能力がない状態での申述は無効だ(民法第3条の2)。
成年後見人は「被後見人の法律行為を代理する権限」を持つ(民法第859条)。後見人が被後見人(認知症の相続人)の代わりに相続放棄の申述をすることは、後見人の代理権の範囲内だ。
重要なのは「相続放棄が被後見人(本人)の利益になるか」という判断だ。後見人の義務は本人の財産と権利を守ることであるため、相続放棄が本人に不利な場合(例:相続することで本人の財産が増えるのに放棄する)は、後見人が相続放棄をすることは認められない可能性がある。
後見人が相続放棄できるケースと注意点
後見人が被後見人の代わりに相続放棄をすることが適切と判断されるのは次のようなケースだ。
- 相続財産よりも負債(借金・ローン等)が大きい場合:相続すると被後見人が借金を引き継ぐことになるため、放棄が被後見人の利益になる
- 相続財産が不明確で、負債が潜在している可能性がある場合:財産の全容が不明な場合、放棄することでリスクを回避できる
- 相続を承認すると管理が複雑になり費用がかかる場合:管理費用が財産価値を上回る見込みがある不動産等
逆に相続放棄が「被後見人に不利」と判断される可能性があるケースは次の通りだ。
- 相続財産が大きく、後見人が自分の事情(介護費用の軽減・兄弟の取り分を増やしたい等)のために放棄しようとしている場合
- 相続放棄することで他の相続人の取り分が増え、後見人と他の相続人が同一人(または利害が一致している)である場合
後見人が相続放棄するときの手続き
後見人が被後見人の代わりに相続放棄をする場合の手続きの流れを整理した。
- 後見登記事項証明書の取得:後見人であることを証明するため、法務局で後見登記事項証明書を取得する(相続放棄申述書に添付が必要)
- 相続放棄申述書の作成:家庭裁判所の書式に従って申述書を作成する。申述人は「被後見人の成年後見人 ○○」という形になる
- 相続放棄の申述:被相続人(亡くなった人)の最後の住所地を管轄する家庭裁判所に申述書を提出する
- 家庭裁判所からの照会:申述後、家庭裁判所から後見人に対して照会書が届く。「相続放棄の理由」「被後見人の利益のための判断であることの説明」等を回答する
- 相続放棄申述受理通知書の受領:家庭裁判所が申述を受理すると「相続放棄申述受理通知書」が交付される
「相続放棄の3か月」という期限と認知症の問題
相続放棄は「相続を知った日から3か月以内」に申述しなければならない(民法第915条)。この「熟慮期間」が認知症の相続人がいる場合に問題になる。
認知症で後見人がまだ選任されていない場合、「相続を知った日」から3か月のカウントが始まっているにもかかわらず、後見申立て→後見人選任まで時間がかかって期限に間に合わないリスクがある。
この問題への対応方法として「熟慮期間の伸長」の申立てがある(民法第915条第1項ただし書き)。家庭裁判所に申立てを行うことで、熟慮期間を延長できる。後見申立てと並行して熟慮期間の伸長申立てをすることで、期限切れを防ぐことができる。
熟慮期間の伸長申立ては相続を知った日から3か月以内に行う必要がある。「後見人の選任を待ってから申立てしよう」と考えていると間に合わない可能性があるため、早期に動き始めることが重要だ。
「限定承認」という選択肢
相続放棄の代わりに「限定承認」という方法もある(民法第922条)。限定承認は「相続で得た財産の範囲内で負債を承認する」という方法であり、財産より負債が多い場合でも財産の範囲内での弁済で済む。
限定承認は「相続人全員が共同して申述しなければならない」(民法第923条)という制約がある。相続人の一部だけが限定承認することはできない。認知症の相続人がいる場合は、全員が参加するため、後見人の関与が必要になる。
手続きが複雑で費用もかかるため、限定承認は相続財産の全容が不明だが「財産の中に価値があるものも含まれている可能性がある」という状況で検討する。単純に負債が多い場合は相続放棄の方が手続きが簡単だ。
後見申立てと相続放棄の期限が重なる状況での対応手順
後見人がいない認知症の相続人が発生し、かつ相続放棄を検討しなければならない状況での対応手順をまとめた。
- 被相続人が死亡した直後:相続財産と負債の全容を調査する(金融機関・法務局・市区町村で残高・登記・税金等を確認)
- 熟慮期間(3か月)の伸長申立て:相続を知った日から3か月以内に、家庭裁判所に熟慮期間の伸長を申立てる
- 後見申立て:認知症の相続人の居住地を管轄する家庭裁判所に後見申立てを行う
- 後見人選任(申立てから3〜6か月程度):後見人が選任される
- 相続放棄の判断:後見人が被後見人の利益から判断して相続放棄するかどうかを決定する
- 相続放棄の申述(伸長された熟慮期間内):後見人が申述書を作成・提出する
この手順を踏むには「被相続人の死亡直後」から素早く動く必要がある。特に熟慮期間の伸長申立ては「3か月」という期限があるため、動き出しが遅れると間に合わなくなる。
相続放棄をしなかった場合のリスク
相続放棄をしなかった(または間に合わなかった)場合は「単純承認」になる(民法第921条)。単純承認とは「相続財産も負債もすべて引き継ぐ」という状態だ。
単純承認になると、被相続人に借金・未払い税金・連帯保証債務等があった場合に、被後見人(認知症の相続人)がその負債を引き継ぐことになる。後見人は被後見人の財産からその負債を返済しなければならない状態になる。
財産よりも負債が明らかに多い状況で放棄の手続きを怠ると、後見人が後から責任を問われる可能性もある。「負債があるとわかっていたのに相続放棄しなかった」という判断を家庭裁判所から問われるケースがある。
後見人が相続放棄をするときの費用
後見人が相続放棄の手続きを行う際にかかる費用の目安を整理した。
- 相続放棄申述の手数料(収入印紙):被相続人1人につき800円
- 郵便切手(予納郵券):1,000〜5,000円程度(裁判所によって異なる)
- 後見登記事項証明書の取得費用:700円(法務局での交付)
- 熟慮期間の伸長申立て手数料:800円(申立てが必要な場合)
- 司法書士に依頼する場合の報酬:5〜10万円程度(相続放棄申述書の作成・申述代行)
手続き自体の費用は比較的少ないが、後見人の選任にかかる申立て費用(20〜30万円程度)は別途発生する。後見人を立てることが主な費用となる。
「代理人として相続放棄」と「特別代理人として相続放棄」の違い
後見人が相続放棄をする場合の「代理人」と「特別代理人」の違いを明確にしておく必要がある。
- 後見人が代理人として申述するケース:後見人と被後見人の利益が相反しない場合。たとえば被後見人の親(祖父母等)が死亡した相続で、後見人(子)ではなく被後見人自身が相続人のケース。後見人が被後見人の代理人として申述する
- 特別代理人が必要なケース:後見人と被後見人が同じ相続の相続人で利益相反になる場合。後見人ではない第三者(通常は弁護士・司法書士等)を家庭裁判所が特別代理人として選任し、特別代理人が被後見人の代わりに申述する
どちらのケースに該当するかは「誰が相続人で、誰が後見人で、後見人も相続人になっているか」によって判断する。利益相反になるかどうかの判断が難しい場合は、申立てを担当する司法書士・弁護士に相談することをすすめる。
相続放棄後に「相続財産管理人」が必要になる場合
相続人全員が相続放棄をした場合、相続財産は「相続人のいない財産」になる。この場合、相続財産を管理・清算するために「相続財産管理人(相続財産清算人)」の選任が必要になることがある(民法第952条)。
不動産(特に管理が必要な物件・負動産)がある場合や、負債の清算が必要な場合は相続財産管理人の選任申立てが必要になる可能性がある。選任申立てには「予納金」(相続財産管理人への報酬等の費用として裁判所に積む金員)が必要で、財産が少ない場合は100万円程度の予納金が求められることもある。
相続放棄を検討している場合は、相続放棄後の財産の扱い(特に不動産がある場合)まで考えた上で判断することが重要だ。
この記事のまとめ
- 意思能力がない認知症の相続人は自分で相続放棄できない。成年後見人が代わりに申述する(民法第938条・第859条)
- 後見人が相続放棄するには「被後見人の利益になる」という判断が必要。自分や他の相続人の事情で放棄させることはできない
- 相続放棄の3か月の期限(民法第915条)と後見申立て期間が重なる場合は「熟慮期間の伸長申立て」(民法第915条第1項ただし書き)を先行させる
- 手続きは「熟慮期間伸長申立て→後見申立て→後見人選任→相続放棄申述」という順序
- 相続人全員が共同する「限定承認」(民法第922条・第923条)は手続きが複雑。財産の一部に価値があり純粋な放棄はしたくない場合の選択肢
- 手続きを怠って単純承認(民法第921条)になると負債もすべて引き継ぐ。早期対応が重要
出典:民法第3条の2(意思能力)・第859条(成年後見人の代理権)・第915条(相続放棄の熟慮期間)・第921条(単純承認)・第922条・923条(限定承認)・第938条(相続放棄の申述)
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